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私は今寮住まいで、毎日格安で寮母さんがご飯を作ってくれる。朝、夕もだ。
だが、金曜の夜は、いきなり「飲みに行こうぜ!」と言われる可能性があるのでいつも頼んでいない。
これはその金曜の夜に飲みがなかったときの話である。


 週の終わりで、誇張でも社会人ぶる訳でもなく完全に疲れきっていた私は、寮母さんにご飯を頼んでいなかったことを若干後悔しつつもカップラーメンを買って帰宅した。帰宅してから「ご飯どうしよう」と考えるのは非常に億劫な事である。

 いそいそとスーツを脱ぎ散らかし、たばこ臭い灰色ヘンリーネックのTシャツと高校のときに体育で使用していたハーフパンツに着替えた私は、湯沸し機能のついたポットに水を入れ、コンセントにそれをつないで一服し始めた。湯が沸くまでにかかる時間はおよそたばこ一本分である。実は、こういう時間に吸うたばこが一番うまいのではないかと最近思い始めた。吸いながら、カップラーメンに調味料などを入れる。

 たばこの火がフィルターに近づき始めるころ、ポットの中の水が沸騰したことを告げるランプが灯る。私はそれを確認すると、たばこを灰皿に押し付け、ソファにへばりついた重い腰を上げ、大掛かりな料理は出来そうもないキッチンへ向かう。ポットを取ってカップラーメンが作れるのに十分なお湯があるかを改めて確認すると、お湯をカップラーメンに注ぎ始める。また腰とソファがへばりつく。強度的にフタと呼べるか微妙な薄い封の上に液体スープを乗せる。そうして、この世で一番長い3分間を迎える。よほどのことがない限り大抵私は、「固い麺が好きだから」という理由で3分間待たない。ことに、週の終わりの最後のご飯である。待ちきれるはずがない。

 封をはがし液体スープを入れ、さあがっつこうとしたその時である。悲劇は起きた。いや喜劇かも知れない。古代ギリシアの作家ならなんと答えるだろうか。私の肘がカップラーメンに激突し、あろう事か吸い散らかしたたばこで一杯の灰皿の上に、まだほぐしきれていない麺と、味噌味のスープが覆いかぶさったのである。

 私は泣いた。冗談ではない。飛び散った麺とスープを見つめむせび泣いた。早く拭かなければなどと考えることも出来ずに、ただ麺とスープを見つめ、泣いた。

 涙が頬を伝うことはなかったが、まぶたの限界ぎりぎりまでに涙を溜め、泣き声ともなんともつかない声をあげた。スープが触れることのできる熱さになるまで、そのままだった。その後、使う当てのないまま買ってきてしまったクッキングペーパーとそれを買おうと思ったその時の自分に心の中で感謝し、麺と、スープと、灰皿を片付けた。そうして、早々と寝た。その時私はきっとさめざめとした表情を浮かべていたに違いない。まるである画家のかいたキリストの絵の様な。

 いや今ならある程度確信を持って言える。私はあの時キリストだった。額には麺という文字の聖痕が浮かび上がり、水道水ですらスープに変える奇跡を起こせたに違いない。そのぐらい、その一瞬、ラーメン界に存在するあらゆる罪と、それに対する罰を一身に背負っていた。そのときの私なら、いつかの昼間に営業車の中から見た、ぺヤングの湯きり時に麺をこぼしてしまったB-boy風の男に道と愛と乾麺の素晴らしさを説き、私の使徒にすることなど容易であったはずである。自分の抱く感情はいつでも主観的であるが、「なぜ神は私を見捨てたもうたのですか」となんの羞恥心も持たずに言えてしまうほど、そのときの私は辛かった。不幸であった。

 これが、私の働き始めて一番つらかった事の話である。今のところ。
 実話を基にしたフィクションです。すんません。フヒヒ
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